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『勝手にふるえてろ』 綿矢りさ

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あらすじ

株式会社マルエイの経理課に勤める江藤良香は現在二六歳。結婚願望はあるものの、誰とも付き合ったことはない。また、イチこと一宮に思いを寄せているが、中学二年生の時クラスメイトになったきりで接点はない。

そんな良香にある日、同期の営業社員であるニが付き合って欲しいと言ってくる。ニは好みではないうえに、イチを諦められない。しかし、良香は初めて彼氏ができるかもしれないチャンスを捨てることもできない。

そうして、ニへの返事を保留した良香は、うっかり死にそうになったことでイチとの再会を決意する。同窓会を開き、大人のイチを一目見る機会が訪れて……。

感想

この小説は全編を通して主人公である良香の視点で語られるのだが、この良香という人物は現実世界ではおとなしいのに、頭の中ではよく喋る。

たとえば、最初のほうのシーン。良香がトイレの個室で泣いている。

 

両脇の個室からユニゾンで鳴り響く音姫の流水音が、私の泣き声をかき消す。いつのまにか致すときは鳴らすのがマナーになった音姫、おそらく日本の女子トイレでのみ起きている不思議な現象。音姫が出はじめてすぐのころ、私たちはこれで恥ずかしい音が消せると、喜んで大急ぎでボタンを押した。初期の音姫はタイマーの機能で継続時間が短く、大体途中で音が途切れてしまうから、すばやく済ませるか連打するかしかなかったので、新しいセンサー式の画期的な音姫の登場に感謝していた。しかしいまや音姫はマナー化して、鳴らさないとむしろまわりに聞かせたい変態かと思われるくらいで、ちっともおもしろくないから、私は会社のトイレでどいつもこいつも音姫を使っているのをいいことに自分だけボタンを押さず彼女たちの音姫の音にまぎれて思いきり無修正で致すのを昼休みのささやかな楽しみにしていた。いまは他人の音姫に嗚咽の音を消してもらっている。

綿矢りさ勝手にふるえてろ(文藝春秋、2012)

 

この間にも良香は泣いており、一言も発していない。しかし、頭の中では音姫についてペラペラと話している。

また、ニに呼び出された良香はニの自己紹介を熱心にされ、その都度頭の中で反論するのだが、現実世界では無難な回答を口にするばかりだ。

この現実と頭の中の世界との食い違いというのは、ニとイチにもあらわされている。現実世界で良香にアプローチするニと、良香の記憶の中で輝くイチ。

良香はニよりもイチのことを好いており、現実世界よりも頭の中での方がずっとのびのびと好きなことを言える。

しかし、良香の結婚願望は頭の中の相手とは成立しない。良香が欲しいものを手に入れるには頭の中の世界を現実にするか、現実世界のニと付き合う他ない。

そして、良香は行動する。

最後に

良香の語り口は軽妙でひねくれていて面白い。一度読み出したら止まらず、一気に読んでしまった。

しかし、あのシーン。読んだ人にはわかると思う、ファックス用紙にボールペンを一心不乱に走らせるあのシーンだ。

心が痛すぎる~!! あまりにもつらくて、一度、安全なシーンまでとばしてしまった。

ああいう刺し方もあるんだな……。